2017年12月22日金曜日

竹石研二(NPO法人市民シアター・エフ理事長) ・シネマで街に潤いを

竹石研二(NPO法人市民シアター・エフ理事長) ・シネマで街に潤いを
埼玉県深谷市にある深谷シネマは座席数が60席の小さな映画館です。
芸術性の高い作品を中心に年に150本ほどの作品を上映しています。
映画館を運営しているのはNPO法人市民シアター・エフです。
繁華街から映画館が無くなった深谷の街に市民のための映画館がつくれないか、こう考えた竹石さんは1999年に署名活動を始め、法人市民シアター・エフを結成、2002年銀行の跡地を改装して深谷シネマをオープンさせました。
その後リーマンショックの際には客足が大きく落ち込むなど、そういうこともありましたが、積極的なPR活動などをして現在では黒字の経営が続いています。
全国のコミュニティーシネマの先駆けともなっています。

元々は酒造会社で昔の建物がそのまま残っています。(江戸中期創業)
宿場町の面影がまだ残っています。
ここを拠点として、生活街と云うコンセプトで楽しいエリアになっていくものと期待しています。
座席数としては60で小さな映画館ですが、中はしっかり音響、映写効果も手をかけているので見やすい映画館だと思います。
年間約150本近くの上映になります。
ドキュメンタリー映画をやったり、話題の映画もやります。
35mmの映写機があるので日本映画の旧作、ヨーロッパ映画の懐かしい映画も上映することも心掛けています。

1948年生まれで、来年で70歳になります。
高校卒業後、建築設備の会社に入り、5年後に倒産して、地元の板金会社で2年働き、診療所で事務をやりながらケースワーカーもいいと思って夜の学校などに行っていました。
20代の後半に、もっと自己表現したいと思っていたときに、今村昌平監督が横浜に放送映画専門学院を立ち上げ、そこに飛び込みました。
共働きだったが、赦してもらいました。
二年生の時に二人目が生まれて、クラスのみんなに浦山監督から助けてやるようにとのことで周りからも寄付を貰いました。
淀川長治さんが毎週来てくれて、推薦映画を見て、解説もしてくれました。
映画製作の時は現役監督、カメラマンがチームに入ってくれて卒業制作を一緒にやってくれました。
自分の才能が判った2年間でした。
4,5人が今村監督の処の製作会社にいけると言うことが出来ました。(200人の生徒がいました。)

卒業後、地元でアルバイトをやっていたら、日活の児童映画があり年に1本作っていましたが、欠員があるから来ないかとの話がありそこで10年近く仕事をしました。
親子映画の運動があり、ホール、学校でいい映画を見て行こうと言う、そこの流れの中に提供する作品としてありました。
そういった映画の企画、上映の仕事をしていました。
児童映画の部署が無くなり、深谷の協同組合の職員として働くことになり、10年ぐらいやって来ました。
生まれは墨田区の下町でしたが、深谷の街も段々シャッターを締めてきて寂しい状況になりました。
50歳になった時に、自分でやりたいことをメモってみたら、映画の勉強、仕事をしてきたので、商店街の空いたスペースを活用してそこに映画の文化を置くことで人の流れ、にぎわいが作れるのではないかと、ひらめきがあり、NPOを介してその夢が実現できるのではないかと思いました。(20年前)

職場も辞めて、NPOの件を県に提出、新聞にも書いてもらうように依頼して、その記事を読んだ人が共鳴してくれて10人ぐらいの人から連絡があり一緒にNPOを立ち上げて行くことになりました。
そのうちの一人は大宮から20年間車で通って来てくれています。
行政にたいして街に映画館、映画文化を誕生させたいと署名活動をして3300人の方が署名して、それを市の方に持ってゆきました。
赤字もある中で深谷のTMO(タウンマネージメントオーガニゼーション)事業で、市街地の活性化、商店街の空き店舗で映画館をやりたいと言うことがOKになり、銀行が統廃合のため閉っていたが、市が借りてくれてオープンすることになりました。(2002年)
500万円融資を受けて借金があったが、前を向いてやっていけばいつかは返せるという勢いはありました。
最初の上映作品は中国映画の「山の郵便配達」という感動する映画でした。
ワーッと詰めかけると言う訳ではないが、お客さんが来てくれました。
初めは低空飛行でしたが、ようやく二桁になり、3年目ぐらいからお客さんが増えてきて、フィルムも直接借りられるようになり、いい感じでお客さんが来てくれるようになりました。

観たい映画はアンケートをとったり、自分たちからセレクトした作品を選んでもらったして、決めて来ました。
採算性は永遠のテーマだと思っていて、両方を大事にしながら、微妙ですが、味わいのある映画をやっていて、それがいいところだと思います。
十人十色で、最大公約数をとったり、スタッフでこれは見てもらいたいと言うこともあります。
ドキュメンタリー映画が3・11以降沢山出来ているので、忘れてはいけないことだし、意識的に観て行くようにしています。
2008年リーマンショックの時には3割ぐらいお客さんが減ってしまってスタッフも辞めて行く人もいました。
行政からの補助金は全く無くて、近隣でホール上映をしてそこからの収入もすこしありました。
PR活動(ポスター、チラシなど)をしました。
少しづつお客さんが増えて来ました。
上映作品を通してお客さんとのコミュニケーションも出来てきて、それも寄与してきたのかと思います。

年度末になると経営状態が心配でしたが、行政に依る映画会が年に何回かありそれが収入にもなり、僅かですが物の販売とかも行って、ここ数年ギリギリの黒字になっています。
スタッフの改善もしていきたいと思っています。
2010年、区画整理事業で無くなることになり、900坪の酒造会社の跡地と出会うことが出来ました。
山田洋次監督のBSのドラマ「祖国」のワンシーンで朽ちた造り酒屋と言うのがあり、それが縁となりオーナーとの出会いがあり、山田洋次監督には感謝です。
改装する訳ですが、国の補助金が申請出来て費用の半分ぐらいと、市民の皆さんから1000万円寄付していただき、残りは銀行から借りて、月々返済しています。
他にも15店舗店が出来て、それぞれが頑張っています。
年間5万人の方がここに訪れてくれて、商店街全体と連携して商店街から生活街とコンセプトとのイメージで一日ゆったり楽しめる場にしていけたらと思っています。
歴史文化が感じられる、温故知新の街興しをしっかりつなげていきたいと思います。
大林監督に名誉館長になってもらっています。
大林さんは「映画館は街の必需品だ」と言っています。
映画をきっかけに楽しめる生活街を作っていけたらいいなあと思います。