2018年1月31日水曜日

川越恒豊(清源禅寺住職)        ・ラジオがつなぐ受刑者との交流

川越恒豊(清源禅寺住職)        ・ラジオがつなぐ受刑者との交流
富山市にごく限られたエリアでごく限られた人しか聞けないラジオ番組があります。
「730ナイトアワー」毎月最終月曜日午後7時間から9時まで。
富山刑務所の中で受刑者のみに対して放送している。
進行役は清源禅寺住職川越恒豊さん76歳。
富山刑務所で受刑者に対する教戒を行う傍ら、ラジオ放送「730ナイトアワー」を38年もの間続けてきました。
毎回家族、季節、思い出などのテーマを決めて、受刑者は200字のメセージとともに曲をリクエストします。
何故刑務所でラジオ放送を行っているのか、どのようなメッセージが受刑者から寄せられるのか伺いました。

彼らの過去をたどると、要因が必ずある訳です。
自分の思いを前に出せるような、人間として生きるべき本音、過去を遡って自分はどうしてこういう収容生活をしなくならければならなくなったのか、自然のうちに判って行くような方法、それがラジオだったんです。
自分の書いたコメントが読まれる、選ばれたという喜び、読まれた、リアクションを付けてもらったり、励ましの言葉などが出てくる。
早く社会復帰して役立ちたいと、云う風な意欲的なものが自然に表に出ると云う気持ちを彼らに引き出させたい。

自分の進むべき道、羅針盤を持つべきです。(と云うような内容を放送)

最初のころは彼らがどう思っているのか判らなかった。
一回目が終わった時に、母親が一回ならだれでもできるが続けてもらわないと意味がないと言われました。
内容はテーマを決めてテーマに基づいて行います。
5月に母の思い出とか、旅の思い出、好きな食べ物とか、3億円当たったらどうするか、など色々のテーマがありますが、一番反応があるのは幼い頃のテーマのことですね。
母親、兄弟の事、家庭のねじれ現象の中に心がすさんでいったと云う所に気づく。
あっちで育てられこっちで育てられ、母親が3人いたが、後から思うとあの母親がいなかったらどうなっていたんだろうとか、家庭生活の中の中心は母親と言ういつくしみの心の中に育てられることに対しての夢を崩れ去ったが、でも今は自分の今日が有るんだと、言わずもながの書き方をしている。
親とか娘からは手紙がこなかったが、娘の婿さんから赤ちゃんが生まれたし、早く社会復帰をして欲しいという内容の手紙が来て、娘は1,2行の手紙を添えて連絡してくれるようになり安堵したと云うよなものもありました。

200字にする意味、一区切りで書ける、要点をどう表現するかという彼らの心の整理にもなる。
一人ひとりの思いを深く掘り下げていく、下読みは絶対にしない。(作った言葉になってしまうことがあるので)
準備すると構えてしまう。
親兄弟、子供に対して見送る状況なのに見送ることが出来なかった自分の心にどう向き合うか、と書いたコメントの人と、あとになって1対1の教戒が始まるが、原稿、コメントについてお勤めして貰いたい、要は供養してもらいたいと云うんです。(判りにくい)
母の日の放送に関するコメントについて、僕はださなかったが、母親のコメントに関して僕の話を聞いてほしいといって、母親の供養をしてほしいというんです、母親のことを思い出したと云うことで、葬式に出なかったと云う訳ではなくて、天ぷらとフライが刑務所ででることがあり、前の刑務所では何のためらいもなく食べていたが、ここで出されたときに箸が進まなくなった。
僕が小学校4年生の時に父親はいたが、天ぷらとフライをよく食べたが、父親は毎日のように酒を飲んで暴れて、母親を蹴る殴るの毎日に様のだった。
母を虐めるのを止めろと言ったら自分が殴られて、こんな父親だったら刺し殺してやろうかというような憤りを感じた。
お前が子供にそういわせているんだろうと、母親を突き倒して、母はサイドボードに頭をぶつけて、その日から父親はどこかに行ってしまった。

母親は病院にいって両眼の神経が切れて失明状態になってしまった。
あなたには何もできないが誠意一杯の事をするといったが、食事は同じ様なものばっかりだった。
天ぷらとフライが欲しいと言ったが、火と油は危険性が伴うので我慢してほしいと言われて、欲しいのなら店に行って買ってきて食べてほしいと言われて食べたが、味が全然違っていた。
天ぷらとフライがたべれないむなしさがでてきて、自分は横道に反れはじめ少年院に行って、挙句の果てに刑務所、再犯を重ねて富山刑務所へきて、(成人としては刑務所は3回目)この話を聞いた時に居たたまれなくなって、その時には母は亡くなってしまっていた。
そういう訳で母親の供養をして貰いたいと云うことだった。

お勤めをして仏壇の前でお焼香をしなさいと言ったら、男泣きに泣きました。
泣くのも供養の一つですと言ったら、暫く合掌していました。
「今からでは人生遅いですかね」といったが(51歳)、「遅くはない」といって、「あなたがいるのは母親がいたからで、残る時間はしっかり自分を見つめて、しっかりやることは一輪のカーネーションをお母さんに捧げることと同じだから、これからの行動は懲罰を受けないで無事出所することを祈っている」と言いました。
彼は自分では書いた訳ではないが、730の母の日の仲間の文面が彼の心を動かしたんです。
文字に書くと云うことは、自分が愛されたい、認められたい、共感されたい、励まされたいというようなことの連続ではないかと思います。

730のそれなりの効果はあると思いますが、人間のいきざまは百人十色、一人ひとりは違って、よく一人ひとりが社会復帰していって、二度と730は聞いてもらいたくないと思います。
自分で受けたものを誰かに行動、言葉に出して返すことが出来る人間になって貰いたい。
これからも誠意一杯やりたいと思います。
「人の役に立ちなさい」と言ったことに諭されて、或る組員は組を脱会して福祉施設の運転手をやりながら20万円弱の給料の中から自殺防止の所へ1万円づつ10何年間送り続けている彼もいます。
人間にはかぎりない可能性があるんだということを忘れてはならないと思います。