2018年1月5日金曜日

松本猛(美術・絵本評論家)        ・母・ちひろ アトリエの後ろ姿

松本猛(美術・絵本評論家)  ・母・ちひろ アトリエの後ろ姿
2018年は生誕100年になります。
いわさきちひろさんは戦時下で青春を過ごし、戦後は画家として母として絵筆を握り続け、55歳でがんに倒れるまで子供への深い愛をその絵本の中に描いてきました。
没後40年たった今でもその人気は根強いものがあります。
その岩崎さんを一番身近で見つめてきたのが長男の松本猛さんです。
松本さんは去年の暮、「評伝いわさきちひろ」を発表しました。
評伝は時代背景やちひろが出会った人々、長男である松本さん自身の眼に映ったちひろの姿などを重ねながら今も愛され続けるちひろの魅力と素顔を、これまで知られていなかった新しい事実も織り交ぜながら描いています。
自身も作家として美術評論家として活躍する松本さんに、今の時代にちひろの世界が語りかけるものは、何故今絵本が大切かなど、絵本作家いわさきちひろが追い求めた世界について伺います。

これまで3冊の評伝が出ています。
いわさきちひろが亡くなってから3年目で美術館をつくって、今年で41年目になります。
その間いわさきちひろを研究してきて生誕100年と言うこともあり集大成ということで書こうかなと思いました。
それまでは書く人のサポートをしていましたが、客観的に見えて来ました。
周りのほとんどの人が居なくなって比較的自由にかけるような雰囲気になり、今回は書いてみようと思いました。
今までの評伝にはぬけ落ちているものがある事を感じました。(父のこととか)
10代の半ばから大学生の時代に母親の影響を物凄く受けています。
第六高女(都立三田高校)時代の教育方針は新しくて、その中で感性が磨かれてゆく。
同じ頃岡田三郎助(東京美術学校の教授)のところに毎日のように通っていて、このこともいままでの評伝では深く書いていなかった。
岡田三郎助は工芸品のコレクターでもあって、ちひろはそれを見ていて感性を磨いていった。

どういう人と出会ってちひろがどう変わって行くかを一つのポイントにしました。
宮沢賢治の作品に出会って決定的にちひろの感性に大きな影響を与えていると思いました。
最初に1回結婚しているが旦那さんが自殺をすることがあったが、それは自分の責任ではないかとどっかで思ったんですね。
命と言うものについて、最初の夫の自殺から多分宮沢賢治に入って言ったんだろうと思います。
調べて行くと一人の絵描きの感性だとか、思想とかがどうやって築かれてきたのかが見えてきてそれが面白かったので夢中で書いてしまいました。
関係者が全部亡くなり実名で残しておきたかった。
或る意味若いころは大胆で積極的な女性でした。
戦争と言う体験が夫の死の後、大連に渡って開拓団の中に入ってゆきます。(戦争末期)
その時に色んな経験をするんです。
サポートがあり何とか帰って来て、その後東京の空襲で命からがら逃げて疎開する。
さまざまな死を目の当たりにしてそれを生き延びてきたから、絵描きになろうと思ったときに命と向き合う意識があの絵の背景にはあったんだろうと思いました。

死んでから40年以上たって、美術館の仕事をしてくる中で客観的に見ざるをえないことがたくさんあり、そういうことが出来たと思います。
私自身も自分を客観的に見ている感じはありました。
一人の画家の今後の研究だとか、芝居になるかもしれないが、その素材になってくれればいいなあと思います。
母は物凄く子供が好きでしたし、人を怒るということをすることが出来ない人でした。
私自身、怒鳴られたり叩かれたりすることは一切なかったです。
想像力が異常に発達している人でした。
母が原爆にあった子供達の手記を集めた本を書くときも、広島に取材にいくが、スタッフはいろいろ人に会わせるとか用意するが、ここの下に骨があると思うと一切できなくなる。
夫を好きでなくて身体を触られるのが嫌で、ショックを受けて彼が亡くなるわけですが、夫に対する自己責任などを物凄く考えてしまったんだろうと思います。
戦後のちひろの生き方を見ていると誰に聞いても本当に優しい人だったと言いますが、人を傷つけたくないと思うと、きついことは言えなかっただろうと思います。

戦後に出会う何人かがいて、稲庭桂子がいてその人との出会い、仕事で厳しく注文をつける人、武市八十雄(絵本ディレクター)がいました、彼は私を呼んで私は製作場面を見るようになりました。
物語、絵の展開をどうしてゆくのかとか、これはアートだと思いました。(大学生の頃)
母親は話すのが上手くて、教授よりも面白いと思いました。
反戦絵本(戦火の中の子どもたち)、母自身が体験した記憶が沢山も盛りこまれている、一緒に製作する中で聞いたりする、一緒に作る中で僕に伝えようとする意識が有ったのかもしれません。
その体験が美術館を作ること、本を書くことに繋がったと思います。
美術の世界では本絵描きが一番偉い、油絵、日本画の絵描きで、挿絵画家はそれよりも落ちて、子供の絵本の挿絵画家は更に下に見られていた。
美術館でちひろ展を出来ないか持ち込んだが全部門前払いだった。
絵本と言うものをちゃんと位置付けたいと思って、現代の絵本を卒論のテーマにしたいと先生に相談したが、指導しては貰えなかった。
それが美術としての絵本を取り上げた最初の論文だったので本にしてくれる人が出てきて、この仕事にも繋がっていきました。

美術と言うものは、その後ろに全部物語がある。
絵本と言う形を見ても、一番最初は古代エジプトの「死者の書」(死後の世界)にあり、日本では「絵巻物」でこれも絵本です。
絵本が語る世界の大きさは凄く奥が深い。
20世紀になってから子供の絵本が多くなって、言葉を覚えるためにも、絵と言葉が並んでいることが有効だった。
アニメ、ゲームなどは自分の方からものを考えるのではなくて、反応して行ったり、流れに入り込むと言うようなことで、逆に絵本は自分がその世界に入っていかないと面白さが見えない、想像力を前提にして出てくるものです。
絵本の果たす役割は大きくなってきていると思う。
絵本の世界の中でものすごく大きなものが描かれている。
今絵本の語る世界が、生と死、戦争、貧困、などテーマが物凄く広がってきている。
インターネットを否定する訳ではないが、効率と速さを求めてきましたが、福島の原発ではないが失ってゆくものが実は物凄く大きい。
人間は自然の中の動物の一部では有るが、自然を支配して行くと言うふうなことが進歩だと思ってきてしまって、もう一回立ち止まって考えるべきだと思います。

効率、速さ、便利さそういうことではないところに実は人間の喜びが隠されている。
ちひろの絵にはにじみがたくさんあるが、にじみは人間の業では出てこない世界、自然のそよぎ、風の美しさ、大気の優しさなど色んな物が含まれている。
そういったものに目を向けていかないと、人間が持っていた色んな感覚が消えていくのではないかと不安があります。
絵本は中身も大切ですが、親と子、をつなぐ媒体でもあります。
母はアトリエで仕事をしていたので、家に帰ればいつも母がいると言う安心感はありました。
人間信頼と言ったベースは親子関係からくるのかなあと思っています。
現代は時間に合わせる生き方をしているが、そうではないことが出来るのが絵本と言う気がします。
生誕100年を迎えて色々企画をしています。
ちひろが語ったことは何だったのか、なんで子どもの命を見つめて平和を描き続けてきたのか、それを見直すチャンスになればいいかなと思います。